【チーム向日】向日市エリアのお店の「今」を徹底レポート!
宮路さんのこと。地元への思いと、これからの麒麟園。
インタビューは2020年10月に行いました。
TEAM MUKOの記事をご覧いただきありがとうございます。ここでは向日市の地元の方へ、地域のお店の「今」をお届けするインタビュー記事をご紹介しています。
今回ご紹介するのは地域に愛される中国料理の名店「麒麟園」へのインタビュー、後編です。
宮路 亮さん(以下、略)-
1966年です。それまで色々なところで料理人として働いていた父が独立して店をはじめました。
創業前の最後に働いていた所がキリンビールの系列店で、そこから「麒麟」の名前を頂いて「麒麟園」と名付けたらしいです。余談ですが広島の福山にも「麒麟園」というお店があるんですよ。そこは当時同門で修業されていた後輩の方のお店です。「麒麟園」から「麒麟園」に年賀状が届くこともあって。僕もそれを見て最初間違えて戻ってきたんかと思って(笑)父に聞いて知りました。
こっちの「麒麟園」はおかげ様で創業から54年、僕も仕事を始めてから25年になります。
(写真提供:麒麟園)
最初は・・こんなこと言うのもあれですけど、若い頃は音楽で食っていこうとしてました。
僕ら学生の頃はバンドブームがあって、父からは「二十歳まで好きなことさしたる」と言われていたので、店の手伝いもしながらドラムをやってたんです。
二十歳になって、改めて「どうする?」となった時に、自分の口から「継ぐわ」と伝えました。
そのまま音楽を続けて有名になった友達もいるんですよ。最近何十年ぶりに連絡を取り合ってやりとりしています。
ないですね。その時きっぱりやめたので(笑)
せやけどねぇ、小学校の時の卒業文集とかの「将来の夢」を書くとこあるでしょ?そこには自分の字で「麒麟園を継ぐ」って書いてありました。だから子供の頃からもう継ぐつもりではいたみたいです。
親はずっと仕事してましたね。今のように他にスタッフもいませんでしたので。
学校行事には母が来てくれていました。中学の最後の運動会には親父も顔を出してくれたかな。
とはいえ自営業なのでいつでも顔は合わせてましたし、休みの日は一緒にご飯を食べたりとか、年に一回の旅行行ったり、家族の時間を大事にしてくれていました。
とにかくずっと働いてる、休みでも仕事の話をしてる。僕は休みの日まで仕事の話をしたくないので「もういいって(笑)」って言うんですけど。やっと仕事終わって、さあ飯食おうかってテレビをつけても、それが料理の番組やと「あの盛りは~」とか「何々使ってて~」とか「これがあれでどーやこーや」って話になっていって。寝言でも接客してるようなこと言ったりするんでね。
もう、凄いなあと思っていて。親のそういう仕事に対する情熱というものを見てきたから、自分もこの仕事をやってるんでしょうけど。まあ、どうでしょう、一体いくつになったら親父を越せんのかな・・・って思います(笑)
当然やり方・考え方が違うので、しょっちゅうぶつかりますよ。毎日のように言い合いになるし。
79歳になった今も「俺がおらなあかん!」ぐらいの気持ちでやってるんでね。それくらい仕事が好きで、現場に立ってるんだと思います。それはもう素直に凄いことやなあ、と。
実際のところ親父とは人間も違うから、僕は僕でええところ伸ばしていけばいいと思ってるんです。
親父にしかないものがあるし、親父が持ってないものを僕が持ってたりもするし。そこ競うんじゃなくて、それぞれの考え方や良さが共存してる今の環境がすごく恵まれているってことなんですよ。
いつまでも・・というわけにいかないので、いま修業しているスタッフには「仕事はマスター(保さん)から教われ」と言っています。
でも親の代から来てくれているオールドファンのお客さんにしてみれば、やっぱり二世というのは比べてしまいますもんね。もっとも若い頃はプレッシャーに感じて、比べられると腹が立つこともありましたけど、今はもう何とも思わないですよ。
「もし僕の代になっても、麒麟園をよろしくお願いします」と言えるようになりました。
(次ページへ続く)
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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